ユウキくんがミクリの恋人のダイゴさんに片思いをしているお話。
「ダイゴさんのその指輪って、何のためにしてるんですか」
不意に隣を歩いていたユウキに話しかけられて、ダイゴは自分の手を広げた。
ダイゴの左右の人差し指と薬指には、4つの指輪がはめられている。年季の入ったそれはどれも同じデザインのように見えるが、近くでよく見ると一つ一つ微妙に大きさや装飾が違っていた。
「何のためって……」
「おしゃれですか。セレブの嗜みなんですね」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」
別に付けなければならないわけでもないのだが、朝起きてそれぞれの指に金属を通し、それを撫でるのが習慣の一つとなっているため今更答えるのも難しい。そうだなぁ、とダイゴは呟いて右手の人差し指にはめていた指輪を外した。
「一番古いのはこれかな。親父が僕の10歳の誕生日に合わせて一緒に掘った鉱石で作ってくれたんだ」
「ふーん。銀ですか」
「はは、そんな良いものじゃない。ただの鋼だよ。どこにでもあるような、普通のものさ」
ころんと少年の手のひらに転がった指輪は鈍く光っていて、確かにあまり高そうではないなとユウキは指でころころと転がした。裏側をよく見ると誕生日と思われる日付と、父からという文字が見える。
(この日付で10歳ということはつまり……)
改めてダイゴと自分との歳の差を感じて、ユウキは少しがっかりした。もう少し年が近ければ、自分が指輪を贈っても違和感のない年齢だったかもしれない。手の中にある指輪は確かに高貴なものではなかったが、よく磨かれているのだろう。錆や目立った傷が無く、ダイゴにとても大切にされていることが金属に疎い自分にもよく伝わってくる。彼はものをずっと大切にする人なのだと、以前ルネジムのジムリーダーが話していた。金持ちだの御曹司だの言われているダイゴだが、自分が大切にしているものは何年でも手入れをしてずっと使うのだと、そのためにかかる費用ならいくらでも惜しまないのだと、そう話していたジムリーダーのミクリはダイゴとどのような関係なのだろう。
手の中の指輪を返すと、今度は右手の薬指に付けていた指輪を渡してくれた。こちらは先程のものよりずいぶん高貴な輝きのような気がする。
「それはね、チャンピオンになったときに母がくれたもの。母はあまり僕と話すことがなかったのだけど、それを指に付けていると何だか安心してね。最初のうちはとても緊張したから助かったよ」
「ダイゴさんでも母親に甘えることってあるんですね」
「いや直接甘えられる機会はあんまりなかったかな。だからそれが母親の代わりみたいなものだよ」
「へぇ……」
シンプルなデザインのそれは陽の光を受けてキラリと輝いた。ユウキの知っているところのプラチナか、シルバーか。あるいはもっと高いものかもしれない。こちらもよく磨かれていて、ユウキは壊れ物に触るように恐る恐るその金属をダイゴに返した。
「右手の二つは、ご両親からのなんですね」
「うん、そういうことになるね」
「じゃあ、左手の二つは何なんですか」
「え~これ?一緒だよ」
「はぁ?何で同じ指輪二つも付けてるんですか」
「大きさが違うんだよ」
そう言ってダイゴは左手の人差し指にはめている指輪を慎重に外した。少し躊躇いがちにこちらを見て、そっと手のひらに置かれたそれはさっきの二つとさほど違いが見えないように思える。少し太めのリングの端に、薄い縁取りが施されていて、その二本の縁取りは一周して小さな模様を介して繋がっていた。
「小さな模様……何か水滴みたいですね」
「あれっ分かるの?」
「えっ本当に水滴なんですか」
「うん」
だってそのデザイン考えたの、ミクリだからね。
その次に投下された爆弾発言に、ユウキは手に持っていた指輪を思わず落としそうになった。
すんでのところでぎゅっと手のひらで握りしめた指輪は、手のひらの柔らかい肉に食い込んで裂けるような痛みがした。水のように冷たいこの感触は、確かにあの人に似ている気がする。
「な、何でミクリさんが考えた指輪……ダイゴさんがしてるんですか。しかもそれ、薬指のも同じなんですよね……?」
「そうだよ。薬指のはミクリのもの。ミクリは指が細いから、僕がはめると少しきついんだけどね」
いやいやいや。そうではなくて。
ユウキは目の前が真っ暗になった。本来なら急いでポケモンセンターに行って体力を回復したいところだが、あいにくそういうわけにもいかない。左手の薬指にはめる指輪が結婚指輪であることくらい、ユウキでも知っていた。つまり、そういうことなのだ。まさかあのルネジムの女性にもてもてのジムリーダー、ミクリが目の前にいるホウエンチャンピオンと指輪をデザインしてしかもそれを相手に渡してしまうなんて。
グラードンがマグマ団のせいで覚醒したときにルネジムで初めて出会った二人からはそんな気配は微塵も感じなかったし、普通に実力を認め合うポケモントレーナー同士だと思っていたのに。自分がいつの間にかこっそりダイゴに憧れを通り越した恋心を抱いているのにすら後ろめたい気持ちがして、どうせダイゴさんも女の人にもてもてなんだろうなあなんて思っていたのに。
頭がパンクしそうになって、ユウキはそっとダイゴに指輪を返した。
「ミクリは水が好きだろう。いつも水に触れ合っているから、指輪をしていると錆びてしまうし気を遣うから僕にはめてくれたんだ」
「へ、へぇ……」
「僕の心臓に一番近い指にこの指輪があると、彼の気持ちをいつでも自分の手の中と心の中に独り占めしている気になるよ」
「は、はあ……そうっすか……」
「ごめんね、気持ち悪かったかな。このことは誰にもしゃべらないでね」
「あ、はい……それはもちろん。ていうかぼくが聞いたんで、気持ち悪いも何も……」
「そう?じゃあ、僕はルネに行くから。またね」
呆然としているユウキに軽く眉を下げて笑ってから愛おしそうに指輪をはめ直すと、ダイゴはエアームドに乗ってさっそうとルネに飛び立ってしまった。
(ルネ……ああそうですか、今からふたり仲良くいいことするんですねちくしょう……!)
ユウキの憧れであった誇り高きホウエンチャンピオンのダイゴと、麗しく荘厳なルネジムリーダーのミクリが、できていたどころかとっくの昔に結婚指輪をお互いで作り合っていたなんて。ユウキの中の二人のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
今更知らなければ良かったと後悔してももう遅い。ユウキは鈍くじんじんと痛む胸を服の上からぎゅっと握りしめた。握りしめた手の中には、まだあの冷たい金属が転がっているような気がした。
(ぼくはまだあなたに恋をしていられたのに)