(ダイゴさんが小学生くらいの過去の話で、ずいぶん乙女ちっくです)
ミクリは誰から見ても端麗な容姿をしており、実際彼の周りには女の子の姿が絶えなかった。
たくさんの女の子に囲まれながら一人ひとりに砂糖菓子のような甘い言葉をかけ、嬉しそうに頬を染める彼女たちを見て、もう少し背が高くなれば自分も彼に同じように扱われるのだと幼い時からダイゴはずっとそう信じていた。
しかし、同じ年頃の女の子に比べて低い背をごまかそうと父にねだって初めて買ってもらった赤色のエナメルのパンプスは、履いた初日に足をくじいて綺麗なエナメルを剥がしてしまった。
それならばもう少しおとなしい服を着て綺麗にしていれば大人に見られるだろうかと母のお下がりをこっそり持ち出してミクリと行ったミナモシティでは、砂浜に埋まっていたガラスの綺麗なかけらを夢中になって集めてしまい、ミクリの忠告もむなしく泥だらけになって母にこってりと叱られた。
そのたびにミクリは笑いながら「ダイゴはそのままが一番可愛いよ」と頭を撫でてくれて、誰のものか分からない香水の甘い香りがツンと鼻をくすぐったのを覚えている。ダイゴはそれが気に食わなくて、いつも「あまやかさないでよ」と頬をふくらませて手を払いのけていた。ミクリの大きなあたたかい手が自分の頭をやさしく撫でてくれるのは好きだったが、なぜかそのときだけは甘い香りのする手で自分に触れてほしくなかったのだ。
ダイゴが十二歳の誕生日を迎えた頃、ミクリは二十歳になっていてすっかりルネシティのジムリーダーとして町に認められていた。
その日はちょうどジムが休みで、ダイゴは久しぶりにミクリとカナズミの公園のベンチでジェラートをつついていた。十歳になって各地のジムを走り回りジムバッジをもう七つ集めたこと、ジムリーダーとして初めて他人にバッジを渡したときのこと、他にもたわいないことを数年ぶりに話した。二年間会わなかっただけで、ミクリはさらに背が伸びてすっかり大人の男性になり、ダイゴも身体のラインがややふっくらとして三ヶ月前に母に赤飯を炊いてもらっていた。
「ジムバッジ、あと私のところだけなんだろう?」
「うん、そうだよ」
「どうして早く挑戦しに来ないんだい。私ならいつでも受けて立つのに。もしかして怖いのか?」
「ばかにしてるの。そんなわけないじゃない」
「ならどうして来ない。トクサネのジムバッジを手に入れてから既に半年以上経つと聞いているぞ」
「……何だって良いでしょ。ミクリには分からないよ」
「そうか、確かにダイゴが何でそんなに拗ねているのか私には分からないな」
ぽんぽんと、ミクリの大きな手がダイゴの一房跳ねている髪の毛を優しく撫でる。またふわりと甘い香りがして、ダイゴは露骨に顔をしかめた。
「そのにおいは何だい?とても臭いのだけど」
「えっ臭いなんてひどいな。今日は何も付けていないんだけど、そんなに臭うかい」
「うん。すっごく甘ったるい。気分が悪いよ!」
そうか分かった、と言いながら手を引いたミクリの顔が少し傷ついたような気がして、ダイゴはチクリと胸の奥がいたんだ。違う、そんな顔をさせたかったわけではない。誰に当てればいいのか分からない苛立ちでダイゴがぐるぐると悩んでいたときに、近くを通りかかった数人の女性がキャーッと黄色い悲鳴を上げた。
「ねぇあれミクリ様じゃない?」
「うっそやだ本物?サインもらわなくっちゃー!」
「隣の子誰かなぁ妹?それとも親戚かなぁ?可愛いね!」
その時、はっきりとダイゴの胸の中で負の感情が激しく渦をまいた。そうとは知らずに立ち上がったミクリが、彼女たちにまた甘い言葉を囁いていく。
「やぁお嬢さんたち、こんなところでお目にかかれるなんて光栄だね」
「キャー!わ、わたしもぉ、ミクリ様に声をかけてもらえるなんて光栄ですぅー!」
「ねぇミクリ様ぁ、今日はオフなんですかぁ?」
「ふふ、落ち着いて。そんなに騒ぐとサーナイトのように麗しいお顔が台無しですよ?」
「ヤダー!素敵ー!」
自分を放っておいて女性と楽しそうに話すミクリも、手の中で溶けかけたジェラートも、今のダイゴにはすべて投げ捨てたいほど鬱陶しいものだった。せっかく今日はミクリと二年振りにゆっくり遊べると思ったのに。今日のために新しく買った黒い靴をざりざりと地面に擦り合わせ、意を決してダイゴはエアームドを呼び出した。
「ミクリ、今日はもう帰るよ」
「おや、」
「君は他の方のお相手に忙しいだろうからね。僕なんかに構ってないで満足させてあげなよ」
「ダイゴ、少し待ってくれないか。すまない、今日は彼女と過ごす予定でね。このあたりで失礼するよ」
「あっはいすみませぇん!」
「お邪魔しましたぁ!」
バタバタと女性たちが去っていくのをちらりと一瞥し、ダイゴはミクリを睨み上げた。
「一体何のつもりだい」
「すまない、君に何か言われる前に追い返すつもりだったんだが」
「その割に楽しんでいたように見えたけど」
「まさか」
不穏な空気を察して、エアームドがダイゴに寄り添ってきた。心配そうに主人を見やる鋼の頭を優しく撫でて、ダイゴはエアームドをそっと抱き寄せた。
「じゃあ、僕にも言ってみなよ」
「ん?」
「さっき、女性たちに言ってたみたいにさ。僕だってそう見えないけれど一応女だし、何かそれらしいこと言えるんじゃないのかい」
「それは、」
「言えないの……?」
公園の樹木がざわりと風になびく。ミクリの透き通った海色の髪の毛がふわりと揺れて、整った眉がくしゃりと苦しそうに歪んだ。
別にダイゴは何か具体的な言葉を期待したわけではない。しかし、目の前であからさまに悩まれているのを見ると、胸の奥が張り裂けそうに痛んだ。自分は、まだ彼に女性として扱われるには遠い存在なのだと、今この場ではっきり示されたようなものだった。
「……ごめんね、いきなり急に変なことを言い出して悪かったと思っているよ」
「ダイゴ、」
「今のはもう忘れてくれないかい。君のジムには、しばらく行けそうもないからまた間が空いてしまうけど」
「…………」
「それじゃあ、僕はこれで」
「あっ、おい!」
ミクリの顔を見たくなくて、抱きしめたエアームドに縋りつくように跨りダイゴはカナズミシティをあとにした。最後にちらりと見えたのは、悲しそうなミクリの顔で、ダイゴはその顔を思い出して鼻のあたりが熱くなった。
(こんな形でしばらくまた会えなくなるのはつらいなぁ、でもミクリが悪いんだからね……!)
こらえていた涙が、ぼろぼろと溢れてきてエアームドの背を濡らす。主人の状態に驚いたエアームドがキイキイと鳴いたのを、ごめんねと優しく撫でて前を向かせた。
ずっと、彼の隣に並びたかったのだ。
ミクリの隣を独占していた名も知らぬ女性ではなく自分が、彼の腕の中にいて甘い言葉を囁いて欲しかったのだ。
「僕は、ミクリのことが好きなのかな……」
胸の中の甘い痛みは、少し苦いキャラメルのようにほろりと崩れ落ちていく。一度そう自覚してしまえば、ミクリの姿を思い出すたびにさらに胸の中がぎゅっと熱くなって、今別れたばかりだというのにまた会いたい衝動に駆られたが、どのような態度で会えばいいのかが分からなくて、ダイゴはきつく目を閉じた。
(すきなひとが、できました)