夜明け前の蟠り

「どうして世界を変えようとしたの?」
亜麻色の髪を風になびかせて、シンオウの女帝はアカギに問うた。答えるのも馬鹿らしい質問に、アカギはうんざりして思わず舌を鳴らす。なぜ周りの人間はこのような愚か者ばかりなのか。さっさとこんな世界を変えるべきだった。あの少女がギラティナを捕まえていなければ、アカギの計画は完璧に終わるはずであった。

「……いいわ、答えなんて最初から期待してなかったから。もう終わったことですもの、今更よね。あなたに指名手配が来ています。あたしは今、シンオウ地方のチャンピオンとして、あなたをここで逃がすわけには行かないの」
こちらを射ぬく眼差し、鈍い金属のような表面に映った自分の表情を見てアカギは苦虫を噛み潰したかのように胸が気持ち悪くなった。結局こいつの狙いも自分にとって都合のいいものではないか。綺麗ごをと並べておきながら、結局は誰でも感情に任せて自分を可愛がりたいだけに違いないのだ。
「そんな手に私が乗るとでも?」
「来てくれないのなら、少し強引な手段をとるわよ。あなた、自分がしたことの重大さを分かっていないのかしら」
「私は何も間違ったことはしていない。あれは私の正義だ」
「仮にそれがあなたの正義だとしても、それに振り回されたシンオウの人々は苦しめられたの。ユクシーや、ディアルガたちをはじめとするポケモンたちもね。あなたは、社会的にきちんと償いをするべきだわ。大人なら当然よ」
「そんなものは必要ない」
アカギはシロナの襟元を渾身の力で握り上げた。突然のことに動揺したシロナが、苦しそうに眉をひそめる。その瞬間、シロナの腰元にあったモンスターボールの一つが勢い良く宙に舞い上がった。

「ガブリアス、だめ……!」
獰猛な龍が牙を剥いてアカギに襲いかかろうとしたその瞬間、シロナは弱々しくも抵抗を許さぬ強い動きでガブリアスを制した。主人に止められて納得がいかず、唸り上げているガブリアスがこちらを睨む。思わず本能的に身が竦むような獣の目だった。
「……なぜ止めた」
「あたり、まえじゃない」
「なぜだ!」
「ンっ、」
はくはくと、白い喉がアカギの手のなかで震えている。あと少し力を加えれば、シロナは息を止めて永遠にアカギに口を利くことがなくなるだろう。もはや「心」を持たぬアカギは、犯罪の概念も何もなくある意味子どものように純粋であった。

「ガブリアスよ、私が憎ければ躊躇いもなく襲うが良い。お前の主人を助けたければ、私の喉を食いちぎればよいだろう。お前は人間と違い、獣だ。心など最初から持っていないお前がなぜ本能に従わない。なぜこんな女の言いなりになるのだ」
先程まで唸り声を上げていたガブリアスに目を向けたアカギは、その眼差しから目を逸らせなくなった。
ボールから出たときは憎悪の感情を剥き出しにしていたガブリアスが、真っ直ぐに、しかしこちらのよそ見を許さぬ力強さでこちらを見ている。ふとシロナの方に目を遣ってアカギは背筋が凍るような気がした。シロナもガブリアスも、同じ視線でアカギを射抜いていた。

シロナの首から手を離す。途端に咳き込んで倒れこんだ彼女をガブリアスはしっかりと受け止め、鋭い爪のあるその腕で優しく彼女を包み込んだ。ガブリアスはまるで慈しむようにシロナを見ていて、アカギはますます眉間に皺を寄せた。

「お前が私をどうするつもりなのかに興味はない。おおかた刑務所にでも連れ込むつもりだろう。だが、私は何も間違ったことはしていない。そんな豚小屋に入るつもりもない、覚えておくといい」
ドンカラスを呼び出し、アカギは上空に飛び上がる。ちらりと振り返ると、ガブリアスはもうアカギの姿に目もくれず、ひたすら腕の中の主人を抱きしめていた。
(本来感情を持たぬ獣が人間に尽くそうとするなど、馬鹿げている。)
やはりあの時、世界を変えておけばこのような哀れな獣はいなくなったかもしれない。
アカギはそう思い直そうと思った。だが、そのたびに先程のシロナとガブリアスの視線が脳裏をよぎる。
気に食わない、絶対に相容れない存在。
それは明らかなのに、なぜかシロナのことを時々思い出してしまう。先程の出来事も、またアカギの意識の中にたびたび点滅することになるかもしれない。
忌々しい、アカギは吐き捨てて夜の暗闇に姿を溶かした。

にくいにくい、それでもどこかできになるのがきにくわない
(夜明け前の蟠り)